契約書がない「口頭契約」での請負代金請求のポイント
「契約は後でいいから、とりあえず進めておいて」現場でよくあるこの一言が、深刻な未払いトラブルの引き金に。証拠のない口頭発注でタダ働きしないために、施工者が知っておくべき厳しい法的現実と現場の防衛策を弁護士が解説します。
目次
「信頼関係」という名の砂上の楼閣
建設現場は、日々刻々と状況が変化する「生き物」です。天候による工程の変更、予期せぬ地中障害物の出現、そして何より施主(発注者)からの急な要望変更。現場監督や施工担当者の皆様は、工期を守り、品質を確保するために、その場の判断で柔軟に対応せざるを得ない場面が多々あることでしょう。
「契約書を作り直している時間はないから、とりあえず進めておいて」「費用は後で精算するから頼むよ」。 長年の付き合いがある施主や元請業者からのこうした言葉を信じ、書面を取り交わさないまま工事に着手する・・・。日本の建設業界では、こうした「口頭契約」や「見切り発車」が、ある種の必要悪として、あるいは信頼関係の証として常態化している側面があります。
しかし、工事が無事に終わり、いざ請求書を提出した段階になって、その信頼関係が脆くも崩れ去る瞬間があります。「そんな金額は聞いていない」「あれはサービス(無償)でやってくれると言ったはずだ」。 契約書という確たる証拠がない中で、施工者はどのようにして自らの権利を守り、汗水垂らして施工した対価を回収すればよいのでしょうか。
法的には「有効」でも、裁判では「勝てない」現実
法的な原則論から申し上げれば、建設工事の請負契約は「諾成契約」であり、当事者の意思の合致(申込みと承諾)さえあれば、口頭であっても契約は有効に成立します。 建設業法19条は、契約の締結に際して書面の作成・交付を義務付けていますが、これは行政上の取締規定であり、書面がないからといって直ちに契約(私法上の効力)が無効になるわけではありません。
これを聞くと、「それなら、口頭で約束したのだから堂々と請求できるはずだ」と思われるかもしれません。しかし、紛争の最前線に立つ弁護士の視点から言えば、この認識は極めて危険です。なぜなら、裁判所という場所は「真実」を語る場所ではなく、「証拠」に基づいて事実を認定する場所だからです。
契約書がない場合、裁判官はどのようにして「契約の成立」や「報酬額」を判断するのでしょうか。そこには、施工者が想像する以上に厳しいハードルが待ち受けています。
「本工事」か「追加工事」か ― 曖昧さの代償
口頭契約トラブルで最も多いのが、「その工事は当初の契約(本工事)に含まれているのか、それとも別途費用の発生する追加工事なのか」という争いです。
例えば、工事の途中で仕様変更の指示があったとします。施工者は当然「追加費用がかかる」と考えていても、施主側は「当初の要望が満たされていないから修正を求めただけ(瑕疵の修補)」あるいは「予算内での微調整」と認識していることが多々あります。 この認識のズレがある状態で、金額の合意も書面化もせずに工事を進めてしまうと、後になって「追加代金の合意」を立証することは至難の業となります。
裁判実務において、追加変更工事代金を請求する側(施工者)は、「追加工事を行った事実」だけでなく、「その工事が有償であることの合意」まで立証しなければなりません。 もし、明確な合意書がない場合、裁判所は「プロである施工者が、金額も提示せずに工事を行った以上、それは軽微な変更としてサービス(無償)で行う趣旨だったのではないか」あるいは「自らの施工ミスをカバーするための工事だったのではないか」という疑いの目を向ける傾向があります。
「商法512条」は万能薬ではない
契約書や金額の合意がない場合、施工者が拠り所とするのが商法512条(商人の報酬請求権)です。「商人がその営業の範囲内において他人のために行為をしたときは、相当な報酬を請求することができる」という規定です。
しかし、これも万能薬ではありません。この条文を使って請求するためには、少なくとも「施主のために商行為(工事)を行った」という事実と、それが「贈与(サービス)ではないこと」を基礎づける事情が必要です。 施主側から「あれは施工者からの申し出によるサービス工事だった」「近隣対策として施工者判断で行ったものだ」といった強力な反論(無償の抗弁)が出されたとき、それを覆すだけの客観的な状況証拠がなければ、商法512条の適用すら認められないリスクがあるのです。
また、仮に請求権が認められたとしても、次は「いくらが相当な報酬額か」という泥沼の論争になります。施工者が「実費+経費」を積み上げて請求しても、裁判所がそれをそのまま認めることは稀です。専門委員、調停員などの専門家による査定や、過去の取引事例などを参考に算出されますが、その金額は施工者の期待を大きく下回ることが珍しくありません。
証拠の積み上げと「現場の記録」
では、契約書がない案件はすべて泣き寝入りするしかないのでしょうか。 決してそうではありません。契約書がなくとも、日々の業務日報、打ち合わせ議事録、メールのやり取り、発注図面、そして施工前後の写真など、周辺事実を積み上げることで「黙示の合意」を立証できる可能性は残されています。
特に重要なのが、「誰が、いつ、どのような指示を出したか」という記録です。 現場代理人が施主の指示を受けた際、その場で「承知しました」とだけ答えるのではなく、「承知しました。では費用を見積もって提示します」と一言添え、その旨をメールやメモで残しておくだけでも、後の裁判での心証は大きく変わります。 逆に言えば、こうした地道な記録がない場合、裁判所での尋問において「言った言わない」の水掛け論となり、証明責任を負う施工者側が敗訴するリスクが極めて高くなるのです。
紛争を未然に防ぐ「防衛ライン」の構築を
「お客様を信用しているから」「忙しいから」といって契約手続きを後回しにすることは、会社経営にとって致命的なリスクを放置しているのと同じです。 追加工事のトラブルは、単に未払い金が発生するだけでなく、現場のストップ、引渡しの遅延、ひいては御社の社会的信用の失墜にもつながりかねません。
もちろん、すべての変更について完璧な契約書を作成することは、実務上困難かもしれません。しかし、簡易な「変更指示書」の運用や、メールでの承諾確認など、現場の負担を最小限に抑えつつ、法的な効力を持たせる工夫は可能です。
現在、口頭契約のまま進んでしまっている案件で不安を感じている、あるいは既に支払いを拒絶されかけている施工者の皆様。 手元にある断片的な資料から、どのような法的構成(商法512条、不当利得、あるいは黙示の契約成立)を組み立てれば勝算があるのか。そして、今後のためにどのような契約管理体制を構築すべきか。 建築紛争の現場を深く理解している弁護士だからこそ提案できる、実践的な解決策があります。問題が深刻化する前に、ぜひ一度ご相談ください。
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